虐待されて育った人間は発達障害に似てくる。
虐待されて育った人間と純粋な発達障害の区別をして自称支援者はアプローチしないと、とんでもない方向へ行くだろう。
例えば、虐待されて育っただけの人間へ、発達障害とみなし、就労移行支援へ送ったところで、または、妙なワークショップへ参加させたところで成果はないだろう。
虐待されて育った人間に必要なのは、それこそ「愛」が必要であり、妙なワークショップへ参加するくらいなら牧師のもとへ行かせて、話を聞いてもらう、もしくは牧師の言葉に「癒される」というようなことをしたほうがはるかになんぼかましである。