発達障害者も謝罪すべき部分は謝罪し世知辛い世の中を渡ればよい
不注意が続き、仕事上でミスが連発し、業務上、過失へ至ったら、その部分で私は発達障害者だから理解してください、と抗弁するのは客観的に見て自分が置かれた立場が苦しくなるだけである。また、そういう態度をとってしまうのは性格や態度が不謹慎とみられ全く損失しか自分は得られない。
当然だが、その部分では謝罪するのが、自分の逃げ道であり、積極的な性格に見える。
それを怠るから、「対人関係の支障」が起きてしまう。
世間知を身につけ、生存戦略を的確に行うのも一つの知性である。
世間知はわざわざセミナーやワークショップ、当事者会へ行かなくても身につけられる、担当医が親密な医師であれば、もしくは友人や、本や、様々な決してそうカネがかからない部分から得られる。それは自分が生きていくうえでの狡さと割り切り、生存しなければならない。
発達障害者も見方によっては無邪気、無頓着、純粋と見られる場合もある。そのような人物造形を自己へ託すには、利己心を捨て去ることである。
簡単な話だ。
人に道を譲る、とかそんな簡単なことだ。
発達障害者には順番を待てない者がいる。
これは見方によっては利己心が過剰にあるように見られ全く得る者はない。その場合、自分の大事な手帳に「他人に道を譲る。私は列の最後でもよい。」と書き、いかにも、私心がない人としてその発達障害特有の症状と相殺するまで人物造形に励むのだ。