「感動した」というとても軽い言葉
「感動した」という言葉は意見がない無関心な人間が述べる最大の思考停止言葉です。
私が「感動した」と言われることなど全くなく今後もないですが、仮にそういわれたら、いや君の社交辞令的な感想はいいから、何か疑問点、質問してほしい、と聞き返します。
「感動した」は、全く対象と離れていかに自分が「感動できるかという自分の心の自己顕示」でしかないから醜悪な感想ですね。だったら悪口を言ってほしいくらいだ、なぜなら、改善点が見つかるかもしれないからだ。そして間違いの指摘をしてほしいところです。「感動した」は対象から逃げている、他人の話から逃げている。いわば、すいまぜんのような軽い言葉です。
日本の感想文教育では、対象の本について悪しざまにつまらないという感想を書くのは許されないゆがんだ教育だから、畢竟、逃げるように「感動した」と書き、それが対象へ感想を述べるときの習慣になっているんでしょうね。
そんな習慣は早く断ち切らないといつまでも子供です。