古市憲寿と落合陽一の先行世代への言いがかり的な「怨恨」
古市憲寿、落合陽一は自分たちは自助努力で這い上がった、だが、中高年世代は社会保障で助けられなおかつその世代からわれわれ自助努力世代が叩かれるのは許しがたいというルサンチマンが対談の無意識真相でしょう。
古市憲寿と落合陽一の先行世代への言いがかり的な「怨恨」といってもよいです。
そして、若者が自助努力し、その若者を社会保障で助けられた中高年が叩くという構図を作ったのは城茂幸です。
ですが、日本は経済成長時期の1950年代から1977年まで他先進国が福祉を充実させていたのに、日本は貧乏国という言い訳でしませんでした。ようやく1976年が日本の福祉元年です。ですが翌年のオイルショックで福祉元年は撤回され、現在の自民党に続く「家族が福祉の中心」という軸を打ち立てます。そうです、中高年も社会保障に助けられていません。ですが完全雇用に近い形で企業福祉は受けられた。このことは世代論ではなく、社会の構造とみるべきが、ルサンチマンで語るのが情緒日本人には受容されやすいようです。
古市憲寿と落合陽一は、自分たちは先行世代に比べ、割りを食った世代という勘違いが怨恨として身に沁みついています。ですから、我々若い世代が幸福になるには国が強化され、社会保障などに頼る先行世代の撲滅だという戯画的世界観が根底にあります。
ですが、その世界観は「反抗期特有の甘え」ではないだろうか。