コーヒー焙煎をしている発達障害者の若い男性がいますが・・・・
コーヒー焙煎をしている発達障害者の若い男性がいますが、彼はいじめられてひきこもりという定番パターンを踏みさらにゲームをしてしまうという「ありきたりな同質」をしていて、7日目に「悟り」を開き、「いかん、こんなくだらんことしている場合ではない」とその後、ゲームを捨て、コーヒー焙煎を目指しました。
ちなみに私の疑問は「いじめられたひきこもり」がなぜ、「いじめる側と同じようにアニメやゲームに耽溺するのか」だ。「ひきこもり」は一旦、「いじめがあるような学校」からリセットする行為であるのに、なぜ、「いじめる側も同じようにやっているようなアニメやゲームに耽溺するのか」。それは結局、「同調」している。謎の思考だ。
一体、いつまでゲームやアニメにうつつをぬかし、周りの偽支援から「いいんですよ」とほったらかしというネグレクトされている「発達障害者」はいつこの若い男性のように「悟る」のでしょうか。
いうまでもなく、アニメやゲームに詳しく得意だからといって実社会では何ら役にも立ちません。その現実をなぜ大人たちは教えないのだろうか。
結局、自分が社会から疎外されたかのように感じている「いわゆる弱者」もマジョリティが消費する「お笑いバラエティ」をみていることからして「バカ」そのものかな、と私は考えますね。特に松本人志なんか「いわゆる弱者いじめ」をして笑いにしているのにその「笑い」に興じる「いわゆる弱者」とは。それは「被害者意識だけが強いだけのバカ」ではないか。アニメもゲームもそうですよ。特にアニメなんか、いじめっこタイプが主人公が多いのにそれにあこがれてしまうのは一体どういう心理か?