ゲームやアニメは何ら個性でもなければその子の尊重でもない
なぜ、私が発達障害者へアニメやゲームをやるなよ、というのは、そんなところで得意分野を見つけても実社会で使えないからですよ。それだけです。だったら文学や哲学はいいのかと妙な反応を示す人がいますが、文学や哲学は「思考された作品」ですから、考える力が身につく。それは発達障害者にとってまったくデメリットにはならない。その考える力は役立ちますからね。
もし、支援員がアニメやゲームにうつつを抜かすことを認めていたら、それはその発達障害者の人生を潰しているんですよ。早く気づくべきです。人はいつまでも子供でいられませんからね。ゲームやアニメを認めることは個性を認めることでもないし、その子を尊重もしていない。むしろ依存症にして人間を劣化させていることに気付けよ、大人ども。
なぜ、日本の大人たちは、ゲームやアニメが得意だとしてもそんな得意はまったく実社会で役立たない、と子供たちに教えないのだろうか。
アメリカ人の父親がゲームにはまっている息子の部屋へ入り、ハンマーでゲームを叩き、泣きじゃくる息子の動画を見たことがありますが、それでよい。
息子が泣きじゃくろうが、ゲーム依存症になって人生を潰すより遥かに何百倍、何千倍もよい。
それが真の教育だ。
子供が間違っている方向へはまっていたら直す、それが教育だ。