国単位で見る歴史はつまらないのではないか
縄文時代、弥生時代から続く日本単一歴史の見方は、単一血縁主義のような古臭い家父長イデオロギーが反映した「物語」に過ぎないのだろう。
私は、先月、図書館でグローバル・ヒストリーに関するミネルヴァ書房の本を読み、国の歴史という見方ではなく、交通としての歴史という見方を知った。
例えば、これは言わなくてもわかりますが、法隆寺は中東とアジアがシルクロードで繋がっていたその結果である。
図書館で借りたので、今、手元にないが、たしかに、さりげなく、その本は、倭から日本へ国名を変えていた。そのときは、意味がわからなかったが、最近、網野氏の歴史を見るヒントで日本の国号に関する記述を読み、腑に落ちた。
国単位で見る歴史はそれは大事だが、基本ベースとしてグローバル・ヒストリーがあると、世界を見る視点が広がるのではないでしょうか。
スピノザは日本はキリスト教でもないのに道徳的に高い国だということを神学・政治論で言いましたが、それも、歴史的な知識があって知るとさらに面白いですね。(まあ、実際、スピノザは日本に来ていないから実態を知らないからそう見えただけのことでしょう)