国民という概念は、人間という概念の下にあることをわれわれは忘れてはいけない
他国の人間を排斥すると、人間としての誇りは傷つくどころか、情けない奴になる。
まず、人間があり、国民はその下位概念に過ぎない。
大事なことは、私は人間としての良心があるかどうか、であり、そんな議論はすでに西洋哲学では散々されている。つまりは、不勉強な奴が日本国民の誇りだとかいい出す。
私には謎の言葉があり、日本人として差別に反対する、という言葉だが、差別に反対するのは、その人の人間性ということからくる感情であるから、日本人としては、特に言う必要もない。
日本国民は、大事なことを忘れていて、国民とは、人間という概念の下位概念に過ぎないことを、とうに忘れている。
必要な考え方は、日本人として、ではなく、人間として、その振る舞いはどうなのよ?とか、その発言はどうなのよ?とか、人間としてそれはどうなのか、と考える習慣を日本人は身につけた方が良いが、だが、そんな習慣は、先ほども述べたが西洋哲学では散々された議論であり、だから、西洋人やアメリカ人は、人間としてどうなのよ、と見る態度が自然に備わっている。
人間としてそれはどうなのよ、という考え方を身につけよう。