賃金は集団労働力の平均値でしか算出されないのだ
賃金は一見、個々の労働力に対する評価額のように見えるがそうではない。人間労働はあくまで集団労働であり、また、その労働力が企業以外の労働市場との関係から見る限り「平均としての労働賃金」が出される。つまり、個々のスキルに対して支払われるというのは、嘘である。
労働投下量は人数で決まってしまう部分がある。そのアウトプット量に対して「労働力価値」が出る。つまり、個々の能力など無視されている。こういう風に考えるのが経済学的思考だ。だが経済学的思考ができないとこのつぶやきのような悲惨なことになる。
私の話が嘘だと思えば、人事部にでも訊けばよい。
必ずこういうはずだ。周りとの兼ね合いだ、と。
そう、「平均」ではないか。ということは、減給を避けることが何より優先される。その減給を避けるには、最大の防波堤は「勤務態度良好」である。
新自由主義の嘘に騙されるな。
スキルもキャリアアップも関係ない。
それはあくまでその企業の「平均」「標準」としての「賃金」が決定されており、就業規則に書かれてあるのだ。
だからこういうタイプの資本家が喜びそうなつぶやきは何もわかっていないどころか新自由主義のマインドコントロールにはまってしまっている。
障害者雇用の初年度の年収は、200〜240あたりが相場ですが、
— Builders 〜ADHD才能発掘・励まし会〜 (@R6zYp) October 22, 2018
実際には、特開金など諸々含め助成金が120万円程企業に入るので、
実際の労働に対する評価は7〜8万円/月
という事になります。
「20万/月以上払ってでもうちで働いて欲しい」と思わせる何かを示して行きたいです
賃金など、だいたい予算が決まっているから、上がることはない。上げようとして、何やら無駄な努力をしても意味がない。能力合戦などしてもなんら意味がないし、資本家の思うつぼだ。すべきことは「労使交渉」だ。本当に賃金を上げたければ。