メッセージを見ればわかりますが、アキヒト氏は何回か日本国憲法における天皇のあり方?というキーワードを述べています
アキヒト氏の天皇誕生日メッセージは象徴職という建前上、行なっただけでしょう。そうしないと「象徴」が形骸化してしまうからということではないでしょうか。
メッセージを見ればわかりますが、アキヒト氏は何回か日本国憲法における天皇のあり方?というキーワードを述べ、そのことに答えは容易に見出せないが、災害訪問や実習生訪問をすることでその問いに対してアキヒト氏の答えを探しているように見えます。
そして、もう一つ重要なことは皇后への想いを語ったことです。男尊女卑が強い日本の風土ではショッキングな出来事ではないでしょうか。
多くの情緒的日本人はわかってないようですが、アキヒト氏は象徴職としての報告を天皇誕生日メッセージで伝えただけです。それは公務員・天皇の国民への義務だからです。
内容を吟味すれば主権在民を配慮し、災害現場へ訪問し、戦後の歴史を振り返り、そして皇后への想いを語ることで男女平等を示した、そのように読みことこそが民主主義国家・日本での天皇メッセージを読む構えではないでしょうか。
涙声、声を震わせる、といったポエムで天皇メッセージを語るのはそのものが何も見ていないか読まない無関心であるだけです。
重要なことは何が語られたか。
それは繰り返し語られる「日本国憲法における天皇の在り方」です。その主題にわれわれ国民も「思いを馳せる」ではなく「思考対象」として存続するのです。
アキヒト氏は日本国憲法の天皇の在り方という問いを模索してきた。日本国民もその問いは共有しなければならない。
その問いを怠ると「大日本帝国」のような復古政治へ戻るからです。
アキヒト氏は、災害訪問や皇后への労いを示し男女平等を表現し、平成は戦争はなかったと発言し平和志向であることを語り、日本国憲法の天皇の在り方をポジティブに示すことで、過渡期の天皇制における天皇モデルを表した。
そのモデルは、昭和天皇ヒロヒトが拗ねた態度で「あっ、そう」と相手を食ったかのような人間軽視の態度と好対照です。
以下の記事から動画として天皇メッセージ読むことができます。