発達障害者当時者の私は障害を言い訳にしない
私は50歳直前でADHDと診断され、それは自分の奇行(不注意や衝動性など)について自己免責的気分を感じただけで、だからといって不注意は治すようにこれまでしてきたし、今後もそうする。障害を言い訳にしない。幸い、その歳でADHDと発見されて私はよかった。これが早期診断であれば、「障害者」として「福祉に殺されるところだった」。だが、私はADHDで周囲に迷惑をかけながら、また、ドン引きにあいながら、いじめられたり、様々な葛藤や困難はあったかもしれない。だが、それはよかったのだ。「福祉に殺される」よりよいのだ。
私は一時期、不注意が気になって、強迫性障害くらいのような確認魔になったが、それはそれでよい、なぜなら、鍵が開けっ放しでは困るし、ガスの元栓が閉め忘れでは困るからだ。
私はかつては吃音で、今でもその傾向はあるが、人並みに話せるようになった。
いかにその状態を改善していくか、だ。
障害だから治るわけがない、で終わったら人生の可能性はなくなる。だから今度は自動車運転にまたチャレンジを考えている。
私は障害を言い訳にしない。