あくまで「所属(場)」が自己確認の代替行為であるのが「日本人」である
日本人というだけですごい、と考えるその発想は、日本人の所属主義から見ると、ごく必然的な思考である。思考ではない。情緒とうべきか。
#ネトウヨ 擁護するのか、といわれそうだが、多くの日本人は自己を滅私し、その所属(場)に埋没することが「自我」なのである。
これは、 #ネトウヨ が経済成長を体験した男が多い、ということをごく自然に説明する。
彼ら経済成長時代を支えた?世代男は、口々に、どの会社、はてはどの学校を出たか、そういった「経歴」にこだわった。だが、定年退職したその世代はもはやその「経歴」を使う「所属(場)」がない。
ということは、もはや、日本すごい、しかいうことはない。
日本すごい、とは、〇〇社すごい、のその流れでしかなく、日本すごい、とは、〇〇社に勤務する俺すごい、ということでもある。
遅れた日本人にとって重要な自己確認は「場」である。
どの「場」に存在し、その「場」のどの位置にいるか、それが重要な自己確認となっている。
一種のブランド志向。それは家紋主義と僕は呼びますね。
日の丸がやたら顕揚されるのは、それが「家紋」だからですね。「家紋」はcome onということですね。