注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

「自主憲法」を主張する者は「甘え」の世界に居住している

日本らしい憲法なんてない。
伊藤博文にしたところで西洋から憲法を移植したにすぎない。伊藤博文は英国のスペンサーから、日本にはキリストでなくても天皇という便利な存在がいるじゃないか、とアドバイスされ、帰国後、大日本帝国憲法森有礼とともに作成した。
そして第二次世界大戦後の日本は、民主主義を導入された国として大日本帝国と明確に分割されたのだ。もっとも国体主義者の残滓は生きながらえた。そして、戦前から活動していたような学者や評論家などはその事態を冷静にもしくはあきらめのように受け止めていたのである。大日本帝国は滅び民主国家日本が西洋から導入された、という認識である。その民主国家・日本の基礎は日本国憲法である。その憲法もまた作成原案は日本人の高野岩三郎らであるが、彼らは近代西洋主義者でもある。日本らしい憲法などない。
憲法を基礎づける人権は、あくまで西洋人が生みだした概念である。そのことに多くの日本人は「自分がない」という傷つきへいたるが、そのような「傷つき」こそ「甘え」である。
私たち日本人は「甘え」の世界に浸り、その世界で生きてきた。ゆえに日本国憲法の絶対的他者性に怯え、「自主憲法」という「甘え」を訴える。それは成長期青少年の「自己」でしかない。
そのような「甘え」を脱却し、私たち日本人は、個人で生きるという模索をしなけれなばらない。