発達障害が知られる前の発達障害者は、働いていなかったわけではない、という端的な事実が忘れ去られている
発達障害を自称支援者は、まず大事な視点が欠けている。
発達障害というような概念が、知られるようになったのはごく最近であり、その知られるようになったから発達障害者でも働ける、といわば、喩えで言えば遠近法の倒錯をしているのだ。
それは、発達障害という概念がないころは、発達障害らしき人も、「働いていました」。
というシンプルな現実を見逃して、発達障害者でも働けるには?という、まさに、逆さまの問いをしている。
過去に、それが、うまくいったかいっていないかを除外して、発達障害者と思しき人は働いていた、というシンプルな現実から言えることは、発達障害者が働けるには、という問いにはならない。
なぜ、発達障害者が働きにくい社会へ変化したのか、だ。
その視点が、実は自称支援者はないとは言えないが、ある、とも言えない。
ある、とも言えないのは、発達障害者が働きにくい社会へなぜ、変化したのか?という問いは、福祉関係者もビジネスの就労支援も言わない。なんら発達障害とは関係ないような社会学者がたまに、それは、発達障害者が働きにくくなったのではないか、とまさに、まさに、小さな声でしか語られないのである。
自称支援者は発達障害者を解釈したに過ぎない、大事なことは、世界を変革することである。
発達障害の改善策で医療関係者が、環境調整と、事務的に語るが、環境調整とは、いうまでもなく、
世界の変革である。
重要なことを私はまた述べる。
いかに、発達障害者が生きにくい社会へ変わったのか、の端的な事例が、山下清である。
山下清は、誰が見てもわかる自閉症スペクトラムであり、彼は施設を抜け出し、だが、おそるべきことに、戦時中、生き抜いたのだ。
それは、なんなのか。
いま、そんなことは可能であるのか。
では、現在、発達障害者が生きにくくなったその社会は、山下清が生きていた過酷な戦争時代より退行している。その退行は、政府を見ればわかる。
私たちは、変革の前に、退行した現実を直視しなければいけない。