ときどき社会系政治記事№22 経営者は口でいうほど、労働者の労働意欲など、あてにしていない 2018/01/07
こんにちは、50にしてADHDの診断を下されたひでひでです。 ===================================
経営者は口ではそういうが、労働者の労働意欲より、一挙に生産手段を新たにしたほうが、はるかに利潤をはじき出すことはわかっているし、さらにいえば、複数人の労働者を集めて、その数では平均◯個が出ることを理解している。
でないと経営などできるわけがない。
では、職制あたりの軍曹もどきの管理者が、やる気だの意欲だのほざくのは、逃亡しないか、サボらないか管理しているだけのことであり、生産性を上げるためではない。
まず、これが、資本主義企業の経営の原則であり、これが見えていない者は、労働者の労働意欲や能力が生産性を上げる、という経営者好みの論理にハマる。
ここから言えることは、障害者も健常者も、それが極端に言えば、障害者が、1個、スーパー労働者が20個、平均労働者が8個、やや遅い労働者が4個としよう。
それは、商品に価値が転化されるときは、平均価値として転化する。この場合、4人で、平均約8個である。その平均約8個しか、経営者は、それが、経営プランからあまりにも低くなければ、構わないのだ。
だから、障害者と健常者は同等の賃金でよいのだ。
この論理がわからないと、いつまでも、経営者にだまされますよ。
さらに、おそるべきことを私は述べる。
現在の資本主義の中心の利益獲得は、貨幣利殖だから、つまり、スーパー労働者など、いらないのだ。
だから、派遣へ置き換わっている。
ということは、われわれは、その雇用のデタラメさに対抗するため、障害者には最低賃金並みの賃金を払う、というその恩着せがましい、「愛と正義」を転覆する必要があり、真の人間労働の創出へ向かわなければ、道徳に劣る、のである。
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