注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

え?今さら、反原連の官邸デモ?意味あんの?

反原連と右からの脱原発のレゾンデートルはもはやないw
経団連会長の国民が反対しているから、という経営責任棚上げ、原発にギブアップ宣言したにもかかわらず、安倍が原発固執しているという物語を抱え、今更官邸で脱原発デモをする無意味な行動にまたもや日本人の無意味な儀礼に執着する特殊な民族性を私は見る。
経団連経団連原発固執し、安倍は安倍で経団連から献金が入るからその意味で原発固執し、献金のためにセールスまでした。それが本質なのに、なぜか国民は経団連は安倍から原発を命じられたかのような物語をこしらえている。

経団連としては経産省を通じ原発政策を人形・安倍を使った手前、自分からやめます、を言えないから国民の反対だから、と都合のいい商売人トークを発しただけですよ。
国民の声に負けたわけではなく、輸出失敗と損失で経営的に不要と判断しただけですよ。

国民の反対が理由なら福島原発事故のとき、原発から経団連は即座に離れれば良いはずが菅直人原発停止をしたので、経団連はなおさら原発固執し、民主党政権おろしが官僚をやり始めていたので、経団連がその民主党政権おろしにのり、でくのぼう安倍晋三なら人形として使えると見たほうが良いですね。

原発も所詮は経営的に重荷になればやめざるを得ないという資本主義の現実が経団連会長の国民が反対しているからという商売人トークである。

しかし、福島原発事故ではなく利益損失が判断のウェイトにおいていることに我々は経団連の体質を見なければならない。

経団連民主党政権憎しで原発固執し、安倍政権に入り打開策で輸出を企んだが頓挫し勝手に利益損失で原発から撤退しただけです。
国民の声に追い詰められたのではありませんから、お間違えなきように。

ビジネスマナーしか教えられないのはオワコン

ビジネスマナーと訊くと〇〇流〇〇派のような妙な作法系なのかな?と私は考えるだけで、果たしてそのビジネスマナーに意義があるのか。
ビジネスマナーより、就業規則、労働法を労働者になるしかない人間に教えるべきです。
ビジネスマナーがついていない従業員で困るのは会社です。本人はビジネスマナーがついていないくらいで解雇になるわけがないから全く困らない。管理職や上司から怒られるくらいですよ。

解雇理由
ビジネスマナーが身についていないから

プッ、と裁判官、笑いますよ。

発達障害者はビジネスマナーなんかどうでもいいですよ。
遅刻はビジネスマナーでもなんでもなく、遅れた分だけ、時間換算されて賃金減るだけのことです。

当たり前の話です。

ビジネスマナーが身についていないくらいで会社がその従業員を解雇できる理由にはなりませんからね。

ビジネスマナーなんて最低限、遅刻してあいさつさえすればよい。遅刻したら時間換算されて賃金減るだけだから、マナーではなくエコノミーの範疇ですよ。

日本社会で呼ばれる「社会人」という曖昧な単語は「組織人」を指している

日本社会で曖昧に使用される「社会人」なるキーワードは「それぞれの会社組織人」に過ぎないのに、まるで汎用的なスキルであるかのように「ビジネスマナー」や「報連相」がビジネス系講義で説かれるのは、説く側がラクをしたいからだ。
発達障害者向けに説かれるスキルなどはその類いでしかない。
ある組織から排除されたからといって他の組織で排除されるかどうかは未知数である。
つまり、発達障害者向けの講義などワークショップも含め、役にも立たない。

「報連相」などという標語を覚えることにはなんら意味はない

わからなかったらわかるものに尋ねる、相談する、ということを日本企業組織では「報連相」と標語にしないと気がすまないらしい。
常識的に考えれば時間が遅れそうになれば連絡するのは当たり前のことができなければ、「報連相」という標語を覚えることになんら意義はない。
大人になってもそんなことさえできなければ原因は発達障害ではない、教育放棄で育てられたことが最大原因だ。

企業の労働者減らしがマルチタスクを労働者に求めたから発達障害とされているだけである

本来、2人、3人、4人で行う作業が企業の一方的な「合理化」により、労働者が減らされた結果、マルチタスクが必要とされることになり、以前は丁寧な〇〇さんが今や仕事についていけない〇〇さんへ変化させられる。そのことが、発達障害界隈でいわれるマルチタスクができないと何が困るか、の本質である。
家庭でもそうだ、という人がいるが、家庭でそのマルチタスクができないから困る、のであれば、その家庭が家族をなしていないのだ。
ある社会へ変化し、それに合わない人を発達障害とカテゴライズすることにはなんら社会が作る困りごとに対して解決にもなりえない。
社会の制度を変えるのではなく、自分を変える、ということが発達障害界隈で唱えられるが、なぜ、発達障害者が変えなくてはいけないのか。
原因は社会にあるのだから。
ゆえに、発達障害系のワークショップへ行き、自分を変えることになんら意味はない。なぜなら、社会が発達障害者向けに変わることはないからだ。
いちいち、社会や身の回りに合わせれば何かコトが済むかのような価値観は捨てたほうがよい

企業の従業員減らしによる結果、マルチタスクを過剰に求められ、シングルタスクなら仕事に丁寧、実直な〇〇さんが、マルチタスクではあわてものにされてしまう。それが、過剰に増える発達障害診断増大の原因である。
いくら自分を見つめようが、その人間性は治らないし、治す必要もない。
社会制度をいかに変えるか、それさえ考えればよい。
無駄な発達障害者向けのワークショップへ行き小手先の〇〇力とか無意味なテクニックを身につけようが、あわてものの〇〇さんは変わらない。変える必要もない。
家族力とかあほじゃないですかね。

日本は福祉もまた日本型福祉という和魂洋才にされてしまう

人権や福祉という概念に対し、日本の保守政治家は、それは西洋が生んだものだから、と言うパターン類型化をする。そして、さらに困ったことに、リベラル保守は、日本型福祉を作り、かえって混乱させる。

それが大平正芳です。枝野もその困ったちゃん部類ですね。

我々が気をつけなければいけないのは、保守は極右からリベラル保守まで、人権や福祉を認めていないのだ。それは、極右のように極端にブレる者は完全否定、リベラル保守は否定したいが和魂洋才でごまかす。

その二つを我々は斥けないと人権、福祉を日本で実現できない。

つまり、自民党にもリベラルがいた、と見たい人は、和魂洋才型リベラルに気づかず、かつての自民党と今の自民党は違う、というのは、保守が人権、福祉を完全肯定しないということでは、その違いは違いで無くなるのだ。

保守はそうではない、という方はいつ、自民党長期保守政権の時、福祉国家がされたか、検証したほうがいいですよ。せいぜい、大平正芳の日本型福祉止まりですよ。

栄養療法で健康になるが発達障害でも良いではないか

発達障害が脳の機能障害であれば脳もまた臓器の一部であるから栄養療法が効果がないということが矛盾している。

栄養療法は確実に発達障害者むけのワークショップや講演以上に意味はある。なぜなら肉体的な健康を保たれるからだ。

健康診断をして、その医師から素晴らしいですねえ、全く異常がない、どこも悪くない、糖尿、ガンの心配なし、と言われるが、発達障害はある、としても、良いのではないか。常識的に考えれば、栄養療法→健康→睡眠が良くなる、というサイクルになれば、発達障害を悪化させる睡眠の悪さを改善するから栄養療法が効果ないことはないし、栄養療法はビタミンやミネラルをとるにすぎない。栄養療法を謳う医者へ行けばカネは高額だが、生田哲氏の本を読み、市販のサプリや食事をプチ改善するくらいでも、疲労がとれていけば、健康へ至る。

発達障害だが、内臓系は健康、それでよし、で良いのだ。

発達障害の「悩み」は周囲の声を聞きすぎるから「悩み」に至るのだ。

不注意に関しては他人が注意してきたら、はい、ご指摘ありがとうございます、とクールにかわし、というか、他人からの注意を人格攻撃にとらずに、あくまで作業上での話だ、と割り切り、不注意改善するには、発達障害対策本のマニュアルで対処すれば良い。

むしろ、発達障害者を追い込み、悩ませるのは、発達障害者向けの味方つらしたワークショップです。