元号そのものが中国からの輸入であり今まで中国古典から元号は採用していたのに、それを一世一元は幕末の学者が明に合わせた「作られた伝統」と言いだす日本古代史学者がツイッターでつぶやいていて私は笑った。元号がそもそも「作られた伝統」ではないか。もっといえば「伝統」なるものは、今は「伝統」に見えるが、それもはじめは「生産」しないと生まれない、作るものなのだ。
「伝統」と言っているものは「消費優先」の生活スタイルに慣れきっているのだろう。
稲作が「伝統」だとしても「生産」が連綿と続いてきている。「伝統」を口にしてその「生産」させる農民の労働力にあぐらにかいているのが「伝統野郎」だ。