注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

私は、極度の運動音痴でした

 はじめまして、ADHDアスペルガーの傾向がある、と医師から診断されたヒデヒデです。

自分の苦しみがADHDアスペルガーにあることがわかり、今までの苦手部分は、脳がさせるものだとわかり、ようやくコンプレックスから解放されそうです。

私は、極度の運動音痴でした。

その運動音痴もADHDがなせる障がいとわかり、少しは安心しました。

いまだに逆上がりもできないくらいの極度の運動音痴です。

運動音痴であるので、体育が1という情けない成績でした。

男で体育が1というのは、人間性が否定されるくらいの評価です。

私の父親が、なぜか運動神経がよいらしく、私の小学校の通知表の体育の1を見るたびに不思議がっていました。ときには、怒りもしました。とても怖かった。小さなころはそんな父親にびくびくしながら生きていました。

体育の時間は、ドッジボールが嫌で嫌で苦痛でした。

私は田舎に住んでいたので、田舎の子は、なぜか、皆、運動神経がよいのでした。

特に男の子は乱暴な子が多く、苦痛でした。

そういう苦しみもADHDがひき起こす運動神経の悪さからというのもわかり、納得、安心しました。