そもそも、読者は版元で読む人もいるでしょうが、内容と著者や立ち読みやアマゾンレビューやそういった事情で読むから、社内姿勢なんて、関係あるかなあ
新潮社は以前も事件当時少年Aの顔写真をフォーカスにごり押しで掲載した。このときは社内を牛耳っていた斎藤十一が懸念する部下へ「君たち人殺しの顔を見たくないか」と意図的、ごり押しに出版。新潮社は校閲がすごいとか装丁がきれいとかそういう「落ち着いた雰囲気」があるから騙されているが、週刊新潮なんて公安警察ジャーナリズムと呼ばれているくらいですからね。もっともそれらと他の新潮社の単行本は無関係だし、そもそも、読者は版元で読む人もいるでしょうが、内容と著者や立ち読みやアマゾンレビューやそういった事情で読むから、社内姿勢なんて、関係あるかなあ。
新潮社全部撤去だとか新潮社不買と主張する連中は、私が信じていた新潮社がすべて「きれい」であってほしい、という幼稚な主観で動いてないか、そもそも新潮社だって企業だから、いや、企業だからこそ、新潮45のようなカスでも売って経営維持をしなくてはいけないのではないか。
ということは、問題は市場なのだ。