安倍政権が保守か否かもまったくどうでもよい
保守の危機のような全くどうでもいい論調が世間をにぎわしている。
「ある事柄」が保守か否かなど、まったくどうだっていい。
例えば、安倍政権が保守か否かもまったくどうでもよい。保守と名がつけば、なんら疑いなく支持してしまう、「退行した幼稚な国民性」の日本人のその「心理」こそが病理である。
だいたい、保守と自分から名乗る奴に碌な奴はいない。
ネトウヨ、安倍晋三、小林よしのり、桜井誠、杉田水脈、小川榮太郎、中島岳志・・・・これらは真の保守ではない、というくだらん定義をする以前に、自ら「保守」と名乗る奴は、単に日本人村ではウケがいいというそれだけの小人物と思えばよい。
では自ら革新と名乗る奴は碌ではないのか。こいつらも碌でもない。
そもそも。自分が保守か革新か、といったまるで幼稚園の運動会の赤組、白組のような「ごっこ」をして何か楽しいのだろうか。
幼稚過ぎる。