朝鮮総連へ実弾を放った桂田は、同業右翼に対する、競走感情の先走りだけにしか見えない。
桂田のような社会の周辺部に追いやられている者は、ある別の手段で自分のアピールをし始める、それが、実弾を打てる桂田だ、と我が存在感を見せつけたい。
それだけである。
桂田のような手法でアドルフ・ヒトラーは、政権を奪った。
桂田のようなやつを抑えるには、誉め殺ししかない。
その桂田の主張にではなく、別の部分で褒める。
本当は、やさしいんだね?
本当は、心が広いんだね?
本当は、細やかなんだね、
とか、日本も政治も使わずに 褒めまくるのだ。
そして、いかに、日常生活と自分の人生が右翼より大事であるかをわからせるのだ。