読書の記録29 ソクラテスの思い出 クセノフォン 2017/12/01
こんにちは。 ADHDとアスペルガーの傾向がある、と診断されたヒデヒデです 読書の記録28です。
読後感想ですが、
本書の最初にある解説が、ソクラテスと孔子を比較する、という、いささか、「グローバル」な視点で、正直、違和感を私は感じた。
ソクラテスと中国の道徳哲学者と同じようなことを言っている、という最初の解説は、そんな見方もあるのか、と少し、私は驚いた。
ソクラテスの時代は、男同士の口と口を重ねあわせるのも、友情に含まれていたのだ。
戦士であることが、ポリス民主制の基本的な人格的美質であることが、私は理解した。
アテナイは、戦士国家だったのだ。
ソクラテスは体制を維持せんと努めるべく奮闘する人物にしか見えない。
ソクラテスは、民王と呼ばれる時期に活躍した哲学者ということは、本書で理解できた。
ネットで民王を検索すると、池井戸潤の小説タイトルが上がる。
民王とは、王でも、貴族でもなく、民主制でもない、貴族寡頭政治に対する民衆の不満を利用した豪族が新政権を樹立するそんな時期にソクラテスは生きた。
いわば、クーデター時期の不安定な時代をソクラテスは、真理の確立を目指した。
ということは、ソクラテスの処刑とは、このクーデター時期の、つまりはかつて失われた君主制を取り戻したいソクラテスが「倫理」として示した思想が、民王政治に触れたということでもある。
ソクラテスにとっての正しき道とは、本書でソクラテスが述べているように、人として善き人になるということだが、それは「王」のことなのだ。
ソクラテスはかねがね秩序志向の人物ではないか、と私は見ていたが、どうやらそれは彼が生きた時代が、貴族寡頭制が崩壊し、民王という豪族が新政権を樹立し、その民王が貴族に政治をゆだねる一種の「クーデター」政治の不安定時期であり、その不安定さを彼が、静謐な「秩序志向」へ向かわせたのではないか。
彼が述べる「徳」とは世襲の王に備わる品位のようなものであり、それは時代とともに、淘汰されていく品位でしかなかった。
そこから徳ある人間が治者たらんとする、ソクラテスの政治思想が生まれたと私は考える。
読書期間2017/12/01~03
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