宇都宮氏への刺客に過ぎない山本太郎という悪質な候補者
山本太郎の都知事選出馬は、連合=国民民主党による宇都宮への刺客であることは明白である。
今までの山本太郎のスタンスだと、応援に回っていたのだが、今回は出馬である。その一貫性のなさに気づくと、山本太郎は国民民主党による宇都宮への刺客であることが見えてくる。山本太郎にせよ、宇都宮にせよ、政策に差はないのに、両立候補する意味は全く存在しない。
都知事選の論点は小池百合子都政を許すか、許さないか、石原慎太郎から受け継いだ築地から豊洲への移転の失策、ほかには新型コロナウィルス対策の不備、また学歴詐称疑惑など、政治的に無能なくせに、政治的根回しだとか、こすっからかい手口だけは周到な小池百合子都知事を倒すことが、都知事選の最大の論点であり、そのためには、都民ファーストと自民党、公明党(学会員)を上回る票を反小池陣営へ集中させなければいけない。
だが、日本人は情緒的に考えるので、票を分裂させることが明白な山本太郎出馬を受け入れ、あまつさえ、支持をする。
小池百合子の圧勝は、山本太郎出馬により決まったようなものだ。
大村県知事は、県主催のイベントだから、愛知トリエンナーレ・表現の不自由展を守ろうとしただけである
論点が高須克哉はわかっていない。愛知トリエンナーレの表現の不自由展に対する脅迫が続き、津田大介は困り、ほぼ放り投げていたときに、県主催のイベントであることを認識している大村県知事は、脅迫などに対処し、開催を続けようとした。大村県知事は、個々の作品には何も触れていない。
大村県知事は、県主催のイベント主催の責任を全うしただけだ。
高須克哉がいうような、表現の不自由展の天皇の顔が焼かれる作品が展示されているから、愛知トリエンナーレの表現の不自由展を開催し続けようとしたのではなく、右翼からの脅迫に屈しては、様々なイベントが出来なくなってしまうと県民の損失になるから、大村県知事は、愛知トリエンナーレの表現の不自由展を守った。
津田大介があまりにも頼りないから、大村県知事が、収拾したのだ。
資本論で本源的蓄積は欠かすことができない重要な章である
伊藤誠の資本論についての入門書のような本があるが、それも「本源的蓄積」について省いている。
それを省くとマルクスの資本論第1巻の「核心的部分」に触れなくなるのではないか。マルクスは資本主義を「価値交換」から始め、資本の増殖、プロレタリアートの増大を分析するが、それだけでは説明できない資本主義の秘儀を「本源的蓄積」に込めている。理論は労働力を等価交換し、生産を上げる中で搾取=剰余価値を生み出すのだが、それだけでは、マルクスは悪循環になる、と述べ、本源的蓄積を想定した。つまり、マルクスは搾取の前に国家とブルジョワジーの農民への収奪が先行していた。それがプロレタリアートを増大させたのだ、と論じている。
あなたが誰に投票しようが他人に知られることもないし、他人へ口外する必要もない
選挙の利点は「あなたの選択は誰にも知られず、そして、憲法では、選挙人はその選択は私的にも公的にも問われない、とあなたが選択を間違えたところで、なぜ、〇〇党を選んだのだ!と責任を問われることはないことだ」。
君が確信をもってその政党をその候補者を誰からの誘導や提案を一切、拒否し、あなたが選挙公報ほかの情報媒体を閲覧し、それを選んだら、自信を持って投票しなさい。仮にその候補者が落選しようが、それは投票したあなたの責任ではない。
日本国憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。