安倍晋三が天皇の前で読み間違えようが人民には実害はない
三権の長の一つの首相が妙な古文調で敬語が入り混じった文章を天皇へ向かって読むことが「民主主義」に反しているんだよ。多くのネットユーザーは表面的に安倍の読み間違いを指弾するが、それは問題の「surfice」でしかない。
問題の本質は「なぜ民主国家の首相が象徴にすぎない天皇へ拝跪するか」だ。
安倍晋三が天皇の宗教的儀式で読み間違えようが、全く人民には実害はないし、天皇は内心、ムカッとするかもしれないが天皇が権力を行使できるはずもない、また、外交問題にも発展しないし、政治中枢を侵食する危険もない。
つまり、安倍のその読み間違いを指弾する方がじつは忠臣愛国を発揮して不気味だ。
そうなのだ。
安倍晋三が天皇の前で読み間違えようが人民には実害はないのだ。
だが、安倍晋三は、独立回復の日に「天皇陛下ばんざい」をやった手前、その拝跪は政治的意図がある。その政治的意図が実現するのは「読み間違えない」ことだが、安倍は読み間違えた。
私たちは天皇の即位式という宗教的な異常な世界を政治や「ふつうを自称する日本国民」が是認するさらなる異常な世界に生きており、その異常の秩序が破綻しないように、たかだか安倍晋三ごときの読み間違いに憤慨する感情いじりの時代に生きているのだ。
そう、安倍晋三だけが「異常」ではないのだ。
安倍晋三だけ批判すれば政治参加しているかのような錯覚こそ、怠慢な衆愚政治以外何者でもないが、安倍晋三は、とにかく、頭が悪いからね。それは政治的危険だよ。