日本社会にいると、生きる、というモチベーションがなくなってしまう
基本的には生きることに真剣になれば、オレー、発達障害でなんとかかんとか言えなくなりますよ。
ゲームで昼夜逆転して、なんとかかんとか言っているうちは、いきていることに真剣ではないから、そんな奴が、妙なワークショップへ参加しようが、就労移行支援へ通おうが、無駄な時間を過ごすだけですよ。
日本社会にいるだけでは、生きる、生き抜く、という高いモチベーションが維持できない。だが、それは異常なことです。なぜなら、外国人は生きるためなら、こんなクソのような日本にも働きにくるのです。
カソリックの神父なんか、言語道断で、お前、今度、日本行け、と絶対的命令が降りるのです。そんなこともなく、ぬくぬくと、アホなゲームに浸り、アホなアニメに時間を費やし、あそばされているのが、日本にいる、という意味です。
そういう現実もわからずに、過保護で真綿のような日本型福祉に生殺しにされているのが、自称発達障害者ですよ。
生きる、とは何か?
答えは、くだらないワークショップにはない。
自分が見つけるしかない。
それが、見つからなければ、別に障害者枠の軽作業でいいじゃないですか?
なぜなら、自分で動こうとしないから、いつまでも、オレー、朝が弱いんだよね、とアホなことを言って人生を無駄にしてください。