注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

安倍自民党を保守ではない、と頑強に否定したがる「保守層」は過去の自民党長期政権を美化している

安倍自民党を保守ではない、と頑強に否定したがる「保守層」は過去の自民党長期政権を美化している。
当時、確かに経済成長が進み、一億総中流のような状態になった。
だが、当時先進国はどこも経済成長をしていた。そして日本以外の先進国は福祉も充実していた。だが、経済成長著しい日本は貧乏国だから、という愚にもつかない言い訳を述べて福祉を無視した。
そして1976年日本は福祉元年。だがその年はOPECからの反撃があり、日本も含めた先進国はオイル・ショックで経済沈下。1977年、前年の福祉元年をあざ笑うかのように自民党の福祉路線が決まる。それは現在に通じる「家族主義」である。自己責任路線である。
つまり、自民党はもともと、現在の「安倍政権」に通じる体質があり、それが拡張されなかったのは、労働者や労組や左派政党が今よりも強かったからである。
 日本が一億総中流であるかのような状態は1995年日経連の新時代の日本型経営宣言の前であり、当時は正社員雇用がほとんどであり、そして、本来、国家が行うべき福祉を企業が肩代わりさせられた。産別労組ではなく企業別労組の日本では企業間の「福祉格差」はあったのである。