生きづらいのは発達障害だからではなく、自民党の経済政策と社会保障削減に原因があるからですよ(笑)
発達障害「だから」生きづらい、と考えたことは私は一切ない。
むしろ、貧乏「だから」生きづらい、と考える。
労働者「だから」(労働者は生産手段から解放されたという意味と自らの労働力を売るしかないという意味での自由、という二重の意味での自由、とマルクスは述べるのだが)生きづらいのだ。
政府の経済政策、もしくは社会保障削減政策が、発達障害者を含めた「国民」を「生きづらく」させているということを私は確信しているから、ソーシャル・スキルだとか、その手の小技など、全く用はなさないと自信を持っていえます。
仮に、これは、ビジネス面でのマナーだが、報連相を現在のブラック企業化した日本企業で愚直にやったところ、競争で煽られた管理職は、何が報告だ、今ごろ遅いんじゃ、とか、なに、この報告書のレイアウト、やっぱ発達障害者だわ、と報連相の「報」をした結果、二次障害になってしまうだけです。なぜ、そんなわかりきったことがわからないのだろうか。
もうひとつ、言っておきますが、敬語の訓練だとか就労支援でやるかと思いますが、いまどきの企業、というか、戦後直後は中卒の集団就職で雇って労働力にした日本企業で「正しい敬語」?は?ですね。そんなもん、丁寧語さえ使えればよい、これはとっても便利ツールで、こども、女性、外国人、部下、当然、上司、誰にでも使える。いちいち敬語くらいで悩むな。こういうところも就労移行は勘違いしています。