僕が考えるには、事務作業という机に向かって行う仕事は、発達障害者でなくてもいらいらさせられる仕事なんだよ
自分がADHD及びASD併発と診断されたせいか、発達障害関係のことを考えてしまう。
僕が考えるには、事務作業という机に向かって行う仕事は、発達障害者でなくてもいらいらさせられる仕事なんだよ。
つまり、その部分でのケアレスミスは気にする必要はないが、その場では必要な「スキル」は狡猾さだけだ。
特に昨今、「政府、中央官庁」からして、忖度まみれや汚職にまみれた時代、「オフィス」というその密室空間は、仕事能力以外の狡猾な技だけさえあれば、通ってしまう空間と見たほうが良い。多分に僕の偏見もありますが(笑)
狡猾に渡る技量さえあれば、自分のケアレスミスも他人へ転嫁できる。「浅井くんがこんなミスをするのは、こいつのせいだ」となることもある。日本の評価なんてそんな「人情」や「義理」といった所詮その程度の怪しい評価だ。
この前提をまず押さえておくことだ。
であれば、たかだかケアレスミス程度で悩む必要もなく、え?人間って間違えませんか、あんたいつもテスト100点ですか、と開き直れるパワーがつく。
そして、人は、遠近法的倒錯をしてしまう。「発達障害はケアレスミスをしてしまう」というそのワードにはまってしまうのだ。ここが曲者だ。そう考えるのではなく、え?人間って間違える生き物ですよね?過去、中世のヨーロッパは地球の周りを宇宙が回る、と間違えていましたよね?と開き直れる。
そして、よくよく考えるとよい。
発達障害であるあなたが間違えない、もしくは間違えても、失敗は成功の母だからなあ、と開き直れる領域がある部分があるはずだ。それは、あなたが熱中している自作パソコンかもしれない。
ケアレスミスやそのほか発達障害にまつわる諸症状が過剰に発達障害であるあなたへ意識させるそのことが「支配」の手口ともいえる。
まず、こう考えればよい。こんな対面式の机のレイアウトではお互いストレスがかかるし、気が散って仕方がない。
あっ、そうか!ここで膝を打つ!環境が俺を間違えさせるのだ!