ヘイトスピーカーへヘイト感情で反対することにいかなる理性の意義があるのだろうか
現在の日本社会での反差別運動の主導権を握る「しばき隊」やその周辺らが行う差別者に対するアプローチが、それも「憎悪」に立脚したセンチメンタルなエモーションな情動運動でしかない。
ここに、現在の日本社会の反差別言論の限界がある。
差別行為とは、それは人権上、更生されなければならない「犯罪」とも言える。であれば、私たちは、中指をおったてる、という愚かな行為ではなく、市民には「啓蒙」、差別者には「更生教育」という「教育」が優先されなければならない。
差別者、ヘイトスピーカーに対し、私たちが反差別の名で「ヘイト感情」を持つのは、ミイラとりがミイラになる、刀には刀、暴力には暴力、と無駄な退行である。