制裁したい願望しか感じられないんですよね。新潮社の本、不買、だとか、全部撤去だとかいうその感情的な動きに
制裁したい願望しか感じられないんですよね。新潮社の本、不買、だとか、全部撤去だとかいうその感情的な動きに。理性が感じられないです。そして、どうも多くの人が、勘違いして、本屋の自由だとか、妙なはぐらかしを言う人がたくさんいますが、撤去ということは、それは、もともとそこにあった、本屋のそれこそ自由で置いていた、だが、新潮45の小川榮太郎の記事が「反社会的」であるので、(懲らしめるために)、新潮社の本を全部、撤去した、という間違った怒りしかない。だから本屋の自由でもなんでもない。ネットやメディアが煽る「小川榮太郎の記事への批判」に「同調」してしまった。それは自由ではない、むしろ、不自由である。
中には、小川榮太郎に書かせた編集長を解任しろ、だの、懲戒だの、いったい、経営者気取りなのか。
私たちは、言論の正常化を求めているのであり、新潮社へ制裁、または、一介の労働者に過ぎない編集長への懲戒など何も望んでいない。