注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

いちいち、なぜ「右翼でも脱原発」といわねばならないのか、僻みなんだろうか

私は一個の人間として平和を希求し、戦争反対の立場である。
現在の日本社会は、この当たり前の一個の人間の表明が「左翼」「リベラル」とレッテルを貼られてしまう狂った状態である。
これは、右翼でも脱原発という言い方がすでに「レッテル」が前提の思考フレームに入っている。そういう意味では古谷だとか中島岳志といった「保守」の正当な定義で終始する論客もその「レッテル」前提のフレームに思考が閉じ込めらている。
原発であろうが戦争であろうが、それら人間にとって危険な機械、状況に一個の人間として反対するのは当然のことであり、その当然をいうことにいちいち「右翼」でも脱原発というような無駄なフレーズを言うこと自体、一種の「陣営主義」「セクショナリズム」に執着しているのだ。
そして「右翼でも脱原発」という奇妙な表現は、社会的知性が存在しない、むしろ、私は被害者だゆえに被害者のトートロジーに閉じ込められている。そもそも、私はあなたが右翼かどうか保守かどうかなど、気にはしていない。勝手に右翼や保守と呼ばれたい人間が、過剰にその「名前」に拘っており、そのような「属地主義」を常にいわねばならないところが「メンタルの弱さ」である。
それは、日本人が異様に「分類分け」にこだわるその思考に端を発している。
とにかく「分類」しないと気が済まない性格が、「右翼でも脱原発」という僻みなのか妬みなのか、社会的知性が感じられないナルシスなワードを右翼でもない日本人まで「共感」してしまっている。
「右翼でも脱原発」というような人間には、誰も君を排除しようとしていないし、あなたが右翼かどうかなど興味ない。
むしろ、君の考えを聞かせてくれたまえ、といってあげて、一個の人間に立ち返らせるのもまた人間の仕事である。