その「愛国心」は、この国の「歴史」には無頓着である
この国を歌いたければ、滝廉太郎の歌でも歌っていれば良いのです。
ですが、RADWINPSには、そのようなこの国の「歴史」に対し、無頓着である。
その「歴史」を消去した「愛国心」とは何なのか?
その問いこそが、われわれが現在、生きている時代の病に対しての態度ではないでしょうか。
その「愛国心」は、この国の「歴史」と、具体的にどのように結びついているのか?
それは、仮構された「愛国心」ではないのか。
宮沢賢治は東北の貧困農民という現実に直面し、満州にユートピアを見た。それは、われわれが帝国主義だと非難はできるが、その宮沢賢治が置かれた現実から出てくる愛郷心とRADWINPSが国家権力を素直に称揚する愛国心とは分けて考えたほうが良い。
つまり、RADWINPSの「この国」とは、せいぜい、平成に入ってからの新保守主義でしかないのです。