野党は与党に反対してこそ、野党の価値がある
野党は反対しか言わないという言葉が効果ある世論は日本人くらいではないか。というのは、野党は、与党に反対するから野党の存在価値があるわけで、それは前提だから、野党が反対をいわなければ野党の価値はない、と考えるのが民主主義。
大多数の日本人は、反対も含めて長い時間をかけて議論を積み重ねることを教育で訓練されておらず、お偉いさんの意見を通すために、見かけ上、会議を行うような外見的議論合意が日本人のからだに刷り込まれていて、反対する、という態度が許せなく感じてしまっている。
おかしなことに、野党そのものが、私たちは反対だけをしているわけではない、と妙な言い訳だかなんだか知らない声明を発表するのもそういわざるを得ない日本人の反対嫌いは無意識レベルに浸透している。
いや、正確に言えば、トップに反対するな、が日本人の無意識レベルに浸透している。
では、政府与党である自民党は日本のトップであるのか?おそらく大多数の日本人は好むと好まざるに関係なく自民党をトップとして認めてしまっているのだ。
だが、民主主義では、与党は、政権を運営するから、中央政府からまるで、トップダウンであるかのように、できるだけで、それはそう見えるだけだし、そうさせないためにも、国会で野党が反対する理由がある。
歴史的に述べれば、日本人の、より正確に言えば、戦後日本人の反対嫌いは、社会党が存在していた頃から、脈々と連綿と受け継がれている。
なぜ、反対を蛇蝎のごとく嫌うのか。
もしかして、反對しなければいけない状況でも、よい国つくりのためには、共に協力し合い、と考えているのだろうか。もし、そう考えていたら、それは民主主義ではない。むしろ、民主主義とは、反対することがよい国つくりのための協力であるのだ。
反対することが協力だ、という論理がわからない限り、日本人に民主主義の感覚は身につかないだろう。