権力や支配層と同化したつもりのリスクを考えられない日本人マジョリティ
日本人マジョリティは権力や支配層へ闘うという誇りではなく、権力や支配層と同化したつもりで、弱いものいじめをするという恥辱を自ら選ぶ特異体質である。その特異体質は、弁護士へ不当懲戒請求をしたネトウヨ老人たちによく表れている。彼らは、そもそもからして身元がわからない余命三年という匿名の記事を信じ、余命三年がカリスマのごとき権力があるように見えて、そのカリスマのごとき余命三年と同化したつもりで、または、余命三年と共に弱いものいじめをすることの喜びに浸りきっていたのだが、悲しいかな日本の権力層は薄情な連中であるので、余命三年は弁護士へ不当懲戒請求をしていなかったのである。余命三年のその振る舞いは安倍晋三と瓜二つである。さらに、ネトウヨ老人に悲劇が襲い掛かる。弁護士へ多数の力で弱いものいじめをしたつもりだが、弁護士が黙っているわけではないことを知らない世間知らずがネトウヨ老人でもあった。訴訟をくらい、あたふたするネトウヨ老人どもである。
ネトウヨ老人が日本人マジョリティの一つの端的なケースと見ると、日本人マジョリティの特質は、権力と同化したつもり、権力と共に弱いものいじめをしているつもり、そしてその二つに加えて、権力と同化さえしていれば、安心立命と信じ生きてきたから、考える力がないこと。そして、訴訟されてあたふたするところから見て問題解決の効率的な選択を選べないこと。弁護士は謝罪と和解さえすれば訴訟を引き下げると言っているのにもかかわらず、その問題解決の効率や実利を選べないのである。その実利を選べないところからして、ネトウヨ老人は今まで自分の足で生きてきてはいないのである。
その日本人マジョリティのシンボルが安倍晋三であり、安倍晋三はトランプに同化したつもりで北朝鮮へ圧力を叫んで自分はトランプに庇護されていたつもりが、または、「恩恵」を期待していたところ、安倍晋三は喜劇として道化にされてしまう。
蚊帳の外であった。