不注意は創造性そのものである
官僚的・軍隊的な専制的な非創造的な社会・組織ではADHDの不注意はことさら水に合わない。それは、駆除すべきミスであるが、自由をベースとした創造的な社会・組織ではADHDの不注意は、気づきを促し、変革のきっかけをつくるのだ。さらに言えば、発達障害者の自閉症スペクトラムやADHDにも見られる会話のぎこちなさ、というか、思いもよらない言葉のやりとりは、まさに、創造的な社会・組織では極めて重要なプロセスである。
発達障害者をことさら排除したり扱いに困っている社会・組織は、非創造的な硬直化し、なんら今後将来はないだろう。
つまり、発達障害者が働きやすくなるには、と言ってメモをする、というような考えでは、官僚的なのだ。
そうではなく、その不注意、短期記憶障害を活かす、そこに、人間の本質を見て、創造性を見ることができる社会・組織に未来はある。
その不注意は、せっかくの不注意なのだ。
せっかくの不注意という意味がわからなければ創造性から遠い官僚的思考である。
その不注意は、せっかくの不注意なのだ。
せっかくの不注意という意味がわからないやつは、そいつの頭脳は死んでいる