自閉症スペクトラムの忖度をしないその言葉に社会は耐えろ
私は、忖度するくらいならウソをつけない自閉症スペクトラムの意見に、社会は耐えろ、という意味ですね。もっとも、自閉症スペクトラムでなくても、どうやら、日本人以外は、忖度はしないのだ。
まさしく、空気を読まない自閉症スペクトラムは、貴重だ。だが、自閉症スペクトラムも、苦労をして、言わなくなるものもいる。
最近、英国人アナリストが書いた本を読んだら、そのアナリストは日本の銀行を分析した事実に基づいた報告書をだすたびに、頭取と衝突していたというエピソードを知った。つまり、日本はイエスマンしかほしくないのだ。それが、忖度だ。だが、自閉症スペクトラムは、そんなことはない、その自閉症スペクトラムのよさが日本社会に活かされれば、もっと日本社会は、自由になるだろう。
よく、日本人は、こころが傷つく、というが、それは、こころではなく、自分のプライドが傷ついた、つまり、恥をかかされた、ということにすぎない。
だが、真実とは、こころを傷つけるものなのだ。
例えば、ガリレオ・ガリレイの地動説は、当時の教会連中のこころを傷つけたのだ。
そして、安倍政権は、いまは、野党からこころを傷つけられているのだ。
自閉症スペクトラムは、忖度はしない。
そのウソをつかない態度に信頼を置くものはいる。
だから、自閉症スペクトラムがズバズバいうそのことに社会は耐えろ、だ。
その「こころ」とは、古い価値観、もしくは多数派に阿る価値観のことである。
そのような「多数派」の動向にとらわれない「自閉症スペクトラム」の「忖度しない意見」は、今後、日本の産業構造が「知識産業」へ様変わりしていくと「重要な位置」を占めるだろう。
他人の「こころ」を「忖度」して、黙るくらいなら「事実に基づいた真実」を述べて、他人の「こころを傷つける」べきだ。