発達障害と愛国日本のちぐはぐな関係
日本のように極端な管理社会だと、標準タイプから外れると、その外れた存在を保護したいのかなんなのかよくわからないが、なにがしか、記号を付与する。その一つに、発達障害がある。
発達障害が広く知られていくのは良いが、だからといって、もっとも、大事な教育機関が発達障害に対応していかないことは、安倍の愛国教育でわかる。
安倍がお好きな教育勅語に一体、発達障害を受け入れる余地などあるのか。
発達障害は、愛国教育により、躾の問題へすり替えられ、訓練と称し、自衛隊へいれられるだろう。
発達障害者はますます、苦しくなる。
早く見つかっても、
しまった!
安倍首相の愛国教育だ。
見つかったところで意味があるのか。
発達障害者が生きやすい社会とは、発達障害でない人間も生きやすい社会である。
社会を変えない限り、「理解」という「暗記」が進んでも、発達障害は、LGBTがよそよそしく「理解」されるように「暗記」の「記号」で終わるだろう。
それが、発達障害ブームの無意識だ。