ときどき社会系政治記事№21 最低賃金並みの賃金が支払われる、という恩着せがましい就労継続支援A型の論理 2018/01/07
こんにちは、50にしてADHDの診断を下されたひでひでです。 ===================================
障害者でも最低賃金並みの賃金が支払われる、という論理は障害者を見下していないだろうか。
いつも、就労継続支援A型事業所は、障害者でも最低賃金並みの賃金が支払われる、と恩着せがましいことを述べている。それは、なんなのか。
最近、就労支援A型の倒産が倉敷をはじめとして、事業所の倒産が相次ぎ、役所は、助成金は事業に使うのであり、賃金へ支払うのではない、と詭弁を弄し、事業所運営者の不正使用を認めないのであるが、そもそも、事業に使うなら、賃金に使うのも、事業に含まれるのだ。賃金とは、使用者から見れば投下資本であり、労働者から見れば労働力の対価である。
役所は利益が出て、そこから賃金を支払うように、と事業所へ是正指導をしたが、それは、間違いではないか。
障害者、健常者に問わず、使用されるものは、使用者の従属下に置かれれば、それは、実態は、労働者であるのだ。つまり、社会が、もっともらしく述べる、障害者「でも」健常者並みに働けるから最低賃金が支払われる、という論理は、使用者ー労働者、の関係性を消去している。
それが、たとえ、福祉事業でも、その論理は適用されなければ、労働概念の崩壊である。
そもそも、就労継続支援A型から、一般就労へ、という道筋を作るくらいなら、厚労省をはじめとして各政府機関は、一般企業の障害者への差別偏見を除去する努力とともに、一般企業で健常者とともに、就労できることが、望ましい。
私は、極論に聞こえるかもしれないが、仮に健常者が時間あたり10個の労働生産物を作る、障害者が1個である、だとしても、賃金は同じ金額を支払うべきだ、というのが、私の論理だ。これは、何もおかしくない。
なぜなら、商品とは、資本論が分析したように、労働量が決め、その量は労働の平均化されるからだ。その平均化が、労働に対する商品価値の一つである。
あなたは1個しかできないから賃金の差をつけるという論理は、市場社会にハマってしまった人間には、疑われざる論理に聞こえてくるが、その市場社会を疑う私から見ると、不当な差別をしているように見えない。
これは、わかりやすく話すと、女性賃金差別が認定されないのは、その女性ゆえ、ではなく、もっともらしく、能力差に置き換えられている不当な差別を考えればわかりやすいのではないか。
障害者が、仮に健常者に対し、アウトプットが少なくても、同様に賃金を受け取る権利は、先ほど述べた資本論の商品の価値から言える。そういうと、それは、マルクスだから、と反論するだろうが、資本論でなくても、それは、労働法的にも正当に言える論理である。もし、福祉事業所の人間が、それは、確かに、法律では、使用者ではないかもしれないが、それは、福祉事業所の責任者の使用者責任を作るための脱法のための法律といわざるを得ない。
障害者を能力差別するな、と私は主張する。
健常者と同様の賃金を支払うべきだ。
付記 障害者は障害年金があるからは、なんら障害者と健常者の賃金差別を正当化する根拠にすらならない。
それが根拠として正当化されると、公的福祉の概念が崩壊してしまうでないか。
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今回の記事です。