希望の党の排除ですが、これはもともと1996年、民主党が排除の論理を適用していた、その反復です
こんにちは。 ADHDとアスペルガーの傾向がある、と診断されたヒデヒデです。
また社会について書きます。
希望の党の排除ですが、これはもともと1996年、民主党が排除の論理を適用していた、その反復です。
詳しくは、ウイキペディアから抜粋しました。
1996年9月に鳩山由紀夫、菅直人両氏が『民主党』を設立する際、新党さきがけ前代表武村正義元蔵相や旧日本社会党(1996年1月から社民党)の村山富市元首相や土井たか子らの旧所属政党の負のイメージが強い幹部らの入党を拒否した。『新党さきがけ』のほぼ全員と社民党からは『民主党』結党に参加した岡崎トミ子らに続き、党所属していた半数以上から入党希望が発生して、当時の両院現職国会議員57名と旧社会党の支持母体の労組で『民主党』は結党された。武村は『新党さきがけ』として丸ごと合流を希望したが、『新党さきがけ』代表幹事だった鳩山由紀夫は幅広い勢力の結集を目指す「個人参加」の新党を主張して、自身の所属していた『新党さきがけ』の負のイメージを長い間代表だった武村ひとりに押し付けた。後の10月の解散で排除された社民党と『さきがけ』は弱小政党に転落するが、旧社会党など日本で左派的な議員を多数含んでいた民主党はほぼ横ばいの52議席を獲得して第三極の政党になる。排除された武村は一度落選後に旧社会党幹部とは違って、2001年には民主党への入党を認められる。1996年の一連の鳩山由紀夫・菅直人の手法を指す言葉として排除の論理は使われ、年末の「日本新語・流行語大賞」では、鳩山由紀夫が唱える「友愛」と共に1996年の流行語大賞に選ばれた。社民党は村山から土井に党首を変えたが、第一野党だった時代の日本社会党所属していた横路や赤松広隆・輿石東・鉢呂吉雄らや社民党での新人当選者を含めた半数以上の35名が党から移籍をした。社民党には福島みずほらが立候補・当選するが党は野党第一党として自民党批判票と支持母体の多数を失って低迷した。 2017年には民主党の後続である民進党は事実上解体されて、小池百合子代表による希望の党への移籍に民進党の元である『民主党』結党時のように『排除の論理』が民進党自身に適応された。旧社会党など幹部議員に適応した側の菅直人にも適応されるため、「皮肉な歴史の巡り合わせ」と報道された。
民主党 (日本 1996-1998) - Wikipedia
ということです。
小池百合子はこの事情を知っているはずです。
1992年政界入りをしています。
2017年、希望の党へ小沢一郎が接近してきましたが、どうやら小沢の魔手から逃れたようですw