注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

自民党の小熊英二といいたいのが三浦瑠麗氏です

こんにちは。 ADHDアスペルガーの傾向がある、と診断されたヒデヒデです。

三浦瑠麗氏がまた歴史の事実を押さえないでたらめ記事を書いています。

自民党小熊英二といいたいのが三浦瑠麗氏です。

今回のこの記事ですが

前半の選挙の論点整理は全くどうでもいい読む価値なしだが、

ここからが問題だ。

 

憲法9条の制定と受容の過程は戦後史の大きなテーマです。占領軍によって起草された日本国憲法は、帝国議会による議決という形をとって成立し、70年以上にわたって保持されてきました。日本国憲法が適正な手続きで制定され、民主的基盤を有するものであるのかは長らく論争の対象であり、そこには、いかにも日本的なあいまいさがあります。

 

当初、占領軍による日本の武装解除という意味合いが強かった9条は、しだいに「平和国家」としての日本のアイデンティティーの核となっていきます。私は、それは限りなくナショナリズムに近い感覚であったと思っています。日本のナショナリズムは敗戦によって根底から揺さぶられました。日本は(戦争という)悪いことをして、しかも負けた。街では、占領軍が偉そうに振る舞っている。自分の国を誇らしく思いたいという感情は行き場を無くしていました。

「当初、占領軍による日本の武装解除という意味合いが強かった9条」と、三浦は記述するが、江藤淳か、三浦は!と突っ込みたくなるような「イデオロギー的でたらめ」ですね。

第9条は日本の国体主義者・幣原喜重郎が考えた条文で、その幣原喜重郎の言葉にマッカーサーが感動した、という公式的な歴史に事実を無視する政治学者・三浦瑠麗とは果たして何なのか。

 

幣原:「世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというようなことを、はっきりと世界に声明すること。それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りとなることではないでしょうか

 幣原から戦争放棄の提案を聞いたマッカーサーは、急に立ち上がって両手を握り、涙を目にいっぱいためていた、と書かれています。

憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎の発案という結論でほぼ決まりだろう - 読む・考える・書く

である。

第9条は、日本の幣原喜重郎の提案だという事実だけを述べればよい。

ちなみに、日本の左派が護憲やら第9条を頻りに主張しだしたのは、土井たか子社会党の実権的独裁を握って以降のことであり、それまでは、護憲や第9条など唱えず、社会主義革命を志向していた、日本共産党は第9条に対し、野坂参三は民族の自衛権がなくなる、と反対していた。

つまり、日本の左派は、実は護憲ではなかった。(笑)

社会主義協会の向坂はソ連社会主義革命を目指していた。そんな左派に護憲も改憲もない。革命だけだった、という事実をおさえない三浦瑠麗という学者は怠慢なのか。

そして第9条を外交で散々、使ったのが、自民党保守本流であり。アメリカからの度重なる軍事的要求に対し、第9条を守り神として使用してきたが、朝鮮戦争警察予備隊が作られ、それは保安隊、自衛隊へ発展する。その自衛隊を巡って、というか警察予備隊から自民党社会党ほか野党の攻防があり、その攻防の結論は決まっていた。

自衛隊専守防衛

その決まった結論の範囲内から出ることはなかった。

だが、湾岸戦争で、カネのみならず、自衛隊も出せ、というアメリカの要求に対し、海部俊樹元首相は第9条を盾にして、苦渋の決断で、自衛隊派兵を拒否した。

この苦渋に対し、小沢一郎は、自衛隊国連のもとにおいてしまえばよい、という提案もしている。それは却下される。もっとも小沢一郎は、その当時は普通の国家を唱えていた「右派政治家」だった。

その普通の国家以降から、第9条改憲が異常に高まってきた。

実は、自民党保守本流は第9条改憲を唱えていなかった、という事実を三浦瑠麗はおさえていない。中曽根や岸、佐藤栄作鳩山一郎らが改憲志向だけであった、のである。

重要なことは、後藤田も宮沢喜一田中角栄改憲は志向していなかったのであり、そういう態度を石原慎太郎が経済だけ!政治はしていない!と攻撃してきたのである。

三浦のような無知を止めるには、

日本の左派も、憲法守れなんて最近いいだして、過去は社会主義革命を言っていたんだよ、と正直にいってください。それを言わないから、三浦瑠麗のような若手が憲法第9条を守れ=日本の左派=護憲、という最近の印象しか語らず、第9条を改憲しないのは遅れているんだという攻撃をしてくるのです

三浦瑠麗は、護憲=左派政党=リベラル=野党、という雑な切り取り方をするが、第9条は幣原喜重郎マッカーサーへ提案し、自民党保守本流が何よりも使い、今では生長の家が第9条改憲反対する、という右の第9条護持の動きを見ない。

歴史の基礎知識を踏まえて書こうね、三浦瑠麗へ。

 

lullymiura.hatenadiary.jp