希望の党へ向かうはずの野党共闘の敗北は、そのポピュリズムを利用したところにある
こんにちは。
ADHDとアスペルガーの傾向がある、と診断されたヒデヒデです 今日は社会について論じます。
今回は、希望の党についてです。
ここからです。
ポピュリズム政治の終焉。
ポピュリズムとは政治的カリスマの謂でしかない。
小泉元首相、石原慎太郎、橋下徹、猪瀬直樹、小池百合子、鳥越俊太郎、細川脱原発。
小泉元首相、石原慎太郎以外、ことごとく敗北である。また勝利した小泉にしても石原慎太郎にしても、それは評価できる政治であろうか。
希望の党へ向かうはずの野党共闘の敗北は、そのポピュリズムを利用したところにある。
ポピュリズムを支えるには、「物質」が大量と必要とされる。
ネットでうじうじ書きこんでいる程度では枝野のような「誠実そうに見える政治家」でしかない。
小池百合子は今回、ネット戦略もしていない。
小池の使用した物質のポピュリズムのツールは、テレビのワイドショーしかなかった。つまり不足しているのだ。
だが、そのイメージ演出の前に、排除が決定的に敗北へいざなった。ポピュリズムであれば、民進党丸抱えでよいのだ。
小池百合子も、中途半端なポピュリズムしかできなかったのは「物質不足」でしかないのだろう。いくら本人に「合理的マキャベリズム」があっても「物質」が不足していれば、ポピュリズム政治は完遂できない。
そして、この小池百合子の前に、ポピュリズム政治の失敗例が鳥越俊太郎である。彼もまた民進党推薦という「物質不足」の中、レイプ疑惑をかけられあっけなく終了した。小池百合子と鳥越俊太郎の共通点は「民進党」である。
ポピュリズム政治が日本では上手くいくわけがない。
なぜなら、世襲と天皇の国だからである。
その国では、ポピュリズムという上昇志向は必ず排除される。小泉や石原はむしろ、世襲と天皇の側なのだが、そのような「力」を行使しないと、日本ではポピュリズムは排除される。
だからといって、世襲や天皇の力を少なくするためにポピュリズム政治家へ託すのは、危険な行為である。ポピュリズムと「世襲と天皇」は合体するからだ。
いくらそれが反体制でもポピュリズムである限り、権力上昇を志向し、見事に、権力奪取した暁は、そこから「世襲と天皇」と「融合」してしまうのだ。鳥越もそうであろう。
では、具体的にみると、なぜ、日本の現在のポピュリズムがうまくいかないのか。それは誰が主体なのか。
安倍自民党だろうか。
そんなわけがない。なぜなら彼は世襲で、安泰しているのだ。必要ではない。
彼は、安泰した場所から、国民を弾圧さえしていればよい。
現在の日本政治のポピュリズムの主体は希望の党へ編入された「民進党」であったのだ。
日本から「民進党」が消滅した以上、ポピュリズムが終焉した。
残すのは「世襲と天皇」という「家政治」である。
安倍自民党は、逆に希望の党の無駄なポピュリズムでかえって強大化した。
無駄なキャラクターは必要ではない、ということだ。
と考えました。