注意欠陥多動性症候群者が衝動的かつ不注意に書いてしまうブログ

49歳、注意欠陥多動性症候群及び自閉症スペクトラムと診断され、今までの人生で上手く行っていないことに納得できました

僕の発達障害は、ADHDで、ジョブス的罵倒型です。 僕は正社員だった頃は、アルバイトから店長から客から気にくわない奴は罵倒しまくっていました。 パワハラ正社員でした。 告白します。 その後、うつを発生し、休職、離婚、失業、借金、自己破産、職を転々。 そして、約5年後に契約社員。 疲れてくると、罵倒の癖は治らず、4年後は、懲戒解雇。 その前に、郵便局の対応が悪く、カウンターにあるプレートを下に叩きつけるつもりが、局員にあたり、暴行罪、罰金10万。労役が嫌なので、派遣へ無理やり入り、再就職手当で、払いました。 この10万が痛く、いまは、罵倒はありません。 私は衝動型のADHDです。

東浩紀の積極的棄権を私は好意的に解釈すると・・・・こうではないか

はじめましてADHDアスペルガーの傾向がある、と診断されたヒデヒデです 今日は社会について論じます。

また前回に引き続き東浩紀についてです。

前回は

 

adhddeshita.hatenablog.com

 今回は以下です。

 

東浩紀の積極的棄権を私は好意的に解釈すると、それは、権力ゲームに陥った選挙では、投票が、その投票者の意見の反映にならない、ということに対するアイロニカルな抗議である。
東が述べたいことは、その投票は、あなたの意志ではないなら、棄権と同等の意味しかないではないか、という問いかけであるが、彼のその主張が胡散臭く見えてしまうのは、東は猪瀬直樹が、東京都知事選挙に立候補したとき、彼は、積極的に猪瀬直樹への投票をマイクを握り締めながら、訴えていたのである。
その一貫性のなさが、一貫しているのが、東浩紀である。
彼は、棄権を自分が選挙できる年齢に達してから、隠れ家的な、まるで、ソローのような生活の、自由を守るために、独立を守るために、国家の副産物である選挙への否定のための棄権ではなく、たまたま、今回の安倍解散のデタラメさに対して、破れかぶれの無駄な抵抗をしているにすぎない。
もし、安倍解散により生まれた選挙に抗議したいのであれば、順当に考えれば、それは、選挙を通じて安倍政権を倒そう、という主張になる。
だが、小利口な東は、自公政権が圧勝することは、見えていたので、そのような、呼びかけは、自分の読みが外れた、と見られるのを恐れるプチブルの、大衆社会には有象無象存在する、知識人の一人でしかなく、読みが外れることは、不安なのだ。
なんのことはない。そのようなタイプの知識人など古代ギリシャから存在している。ソフィストである。
東浩紀は、ソクラテスから、質問されてしまうようなソフィストでしかない。
ソクラテス「棄権がなぜ民主主義なのか」
と敢然と、古代ギリシャの哲学者は問うだろう。
その問いをされた東のその姿にこそ、民主主義の崩壊以降の知識人が見える。

 

と私は考えました。